最新情報詳細
「チーム沙千佳」さまより支援金をいただきました。
フリーアナウンサーの大和田新さまとのご縁で、「チーム沙千佳」の新人メンバーとして加入しました園長の青木です。故 後藤沙千佳さんは、天栄村に生まれ15歳でがんを発病、18歳で骨髄移植を受けました。車椅子生活を送っていましたが、どんなに辛くても痛くても笑顔を忘れない、そして感謝の気持ちを忘れない素敵な女性でした。将来は車椅子のファッションショーのデザイナーになるのが夢でした。そんな彼女を愛し、メンバーお互いが一緒にそれぞれの夢を追いかけるグループを「チーム沙千佳」と呼んでいます。
大和田さんに沙千佳さんを紹介してくれたのは、車椅子バスケットボール元日本代表の増子恵美さんだったそうです。「病気に負けずに元気に明るく頑張っている、24歳の車椅子の女性をラジオで紹介してほしい。」それから、大和田さんの番組「大和田新のラヂオ長屋」で「がんと闘う沙千佳さんのコーナー」が始まりました。そして、そのコーナーを毎週聞き逃すことなく聴いていたリスナーが、まだ別の福祉団体で勤務していた頃の私でした。
沙千佳さんは、自らも闘っているがんと闘う福島医大付属病院で治療を受ける難病の子どもと家族を支援する施設“パンダハウス”への寄付活動を自分も苦しい治療、入退院を繰り返しながら行っていました。しかし、壮絶ながんとの闘いの結果、2016年5月、天へと召されていきました。
その後、父信一さんが、沙千佳さんの想いを絶やしてはいけないと、地元天栄村の松崎酒造さんにお願いして「幸香」(さちか)というお酒を造り、販売し、その売り上げの一部をパンダハウス」への寄付しようと「チーム沙千佳」のメンバーの皆さまと考えられました。
私が大和田新さんと出会い、現在の児童養護施設に入所しているこどもの現状をお話ししました。大和田さんの第一声は「俺今まで何やっていたんだろう。知らなかったよ」でした。
そして、私たちの気づかないこの地域社会の中にも、声なき声で大人の助けを求めている子どもがいるかもしれないこと、さらに児童養護施設に入所している子どもでも、社会へ巣立つにあたっては、過去の様々な事情や環境面で不安を多く抱えて悩んでいる子どもがたくさんいるということ、こども達に必要なのは、今の自分たち施設内支援者だけではなく、社会に出てから支えてくださる多くの地域の大人の皆さまであり、そのためには、広くこども達への支援のご協力を私が色々なご縁で結ばれた方々の支援のもと、拡散しなくてはいけないとなどをご説明しました。すると、沙千佳さんのお父さんにもお話しが伝わり、そんなこども達のことも、沙千佳が存命なら、手を差し伸べたに違いないとご理解を賜り、当アイリス学園にも支援金を頂戴する運びとなりました。10/28(水)松崎酒造での「幸香」のラベル貼りが私のメンバーデビューとなりました。一枚一枚「沙千佳ちゃん、ありがとう。これからよろしくね。」と他のメンバーの皆さんから見たらブツブツと何やら独り言を言いながらラベルを貼る変な人に見えたかもしれませんが、心を込めて1本1本感謝の気持ちを込めて貼りました。その数今年は1,000本!本日現在すでに800本が売れたそうです。そして、その売り上げと松崎酒造様からの寄付金、そして大和田新さんの著書「大和田ノート」の売り上げの一部を支援金として20万円ご寄付いただきました。
令和7年11月28日、沙千佳さんと大和田新さんが初めて会った思い出の場所、福島市の「風の谷」を会場に「沙千佳さんに感謝する会」が行われ、大和田さん、メンバーの皆さん、パンダハウスを育てる会の山本佳子理事長が参加され、その席上、沙千佳さんのお父さん、信一さんより支援金の贈呈をいただきました。なお、写真2枚目の右下で「幸香」のお酒を持っている方は、「盲目のアスリート」星純平さんです。大和田さんのラジオでは何回もご出演されており、ご存じの方も多いのではないでしょうか?
散会後、アイリス学園のある福島市西部地域にきれいな二重の虹がかかっているのが目に入ってきました。皆さまには笑われるかもしれませんが、虹の向こうから確かに、私には「先生!こども達をしっかりお願いしますね!」と天国の沙千佳さんが激励してくれている声が聞こえた気がしました。



